サウナに行けない日の、ざわざわについて。
サウナに行けない日がある。理由はちゃんとしているのに、心が納得していない。
胸の奥に残る「ざわざわ」を、今日はそのまま置いて書く。
サウナに行けない日がある。
忙しいとか、予定が詰まってるとか、家族の用事とか、単純に体が重いとか。
理由はちゃんとしている。ちゃんとしているのに、心は納得していない。
別に命に関わる話じゃない。行かなくても明日は来る。仕事も回る。家庭も壊れない。
なのに、胸の奥にうっすらとした“ざわざわ”が残る。
あれは何なんだろう。
依存なのか。逃避なのか。それとも、単純に必要な時間なのか。
サウナに行ける日は、あの扉を開けた瞬間にスイッチが切り替わる。
温度と湿度が、外界と自分の境界線をゆるめてくれる。
汗と一緒に、思考のノイズが流れていく。
でも行けない日は、そのノイズがそのまま残る。
サウナがないと“保留”できないものたち
- 上司の一言
- 部下の顔色
- 未返信のメール
- 将来のこと
- 体重
- ローン
- 老後
- どうでもいいニュース
サウナがあれば、いったん“保留”にできるものたちが、全部そのまま脳内に居座る。
だからざわざわする。
けれど最近、思うようになった。
行けない日も、たぶん悪くない。
行けないからこそ、「行きたい」がはっきりする。
行けないからこそ、自分が何を欲しているのか分かる。
静かな部屋で、湯気もないのに深呼吸をしてみる。スマホを伏せて、目を閉じる。
ほんの数分だけでも、少しだけ“内側”に戻る。
完璧な整いじゃない。でも、ゼロでもない。
もしかしたらサウナは、施設そのものよりも、「いったん立ち止まる許可」なのかもしれない。
今日は行けなかった。
でも、行きたいと思えた。
そのざわざわを抱えたまま、布団に入る。
明日は行けるかもしれないし、行けないかもしれない。
それでもいい。サウナは逃げない。
草加も、越谷も、きっとそこにある。
そして、ざわざわする自分も、ちゃんとそこにいる。
整わない日も、たぶん人生の一部だ。今日はそんな日。

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